jeudi 10 septembre 2015

Les cent ans du Salon Nika-Kai


Le Musée municipal des Beaux-Arts d'Osaka (大阪市立美術館) accueille  du 12 septembre au er novembre une grande exposition pour le centenaire du Salon Nika-Kai, où exposaient les peintres et sculpteurs japonais influencés par l'art occidental: 伝説の洋画家たち 二科100年展.
Un certain nombre de ces artistes ont été marqués par l'art français ou ont vécu en France.

Voici ce qu'on peut lire sur le site internet de l'exposition:


 文部省美術展覧会(文展)の監査に不満を抱いた一部の洋画家たちが、新旧二科制度 を文部省に願い出ますが聞き入れられず、ついに文展を離れ在野の公募展を立ち上げました。そうして結成された「二科会」は、1914年10月1日に上野竹 之台陳列館で第1回展を開催します。以来、はじまった二科展は、サロン・ドートンヌとの交換展、在外作家制度など、海外の新しい美術動向に積極的な姿勢を 打ち出し、文展とは異なる路線を歩み始めます。アカデミズムと対極の場で、二科会が果たしたその役割は大きく、アクションや独立美術協会をはじめ、二科会 から数多くの運動や分派がうまれました。1935年帝展改組により一部の創立メンバーが帝国美術院会員となった際には退会を促されるなど、二科会の画家た ちは在野であることにこだわります。
 その後、戦争へとむかう時代の流れのなかで、二科会はついに1944(昭和19)年解散を余儀なくされたものの、再結成後はパリ、メキシコ、ロシアなど 海外での展覧会開催や、社団法人化(現在は公益社団法人)、絵画、彫刻以外のデザイン、写真の分野への拡大を図るなど、更なる発展を目指して今日に至りま す。100年もの長い期間、美術家たちの切磋琢磨する研鑽の場として続いた二科展について語られる作品やエピソードは尽きません。在野公募展の雄として、 二科展は今もなお、その一貫した歩みを続けているのです。

 今回の二科100年展では、常に時代を先取りしてきた二科展の100年の歩みを草創期、揺籃期、発展そして解散、再興期の4期に分け、あらためて明らか にします。それはまた、日本近現代美術史における二科展の意義を浮き彫りにすることにもつながるでしょう。
【1】草創期
1914(大正3)年10月、石井柏亭、山下新太郎、有島生馬、坂本繁二郎、梅原龍三郎、津田青楓、斎藤豊作ら11名を鑑査委員とし、上野竹之台陳列館で第1回展が開催される。彫刻部は第6回展から新設された。
【2】揺籃期
1920~30年には神原泰や中川紀元が中心となったアクションをはじめ、里見勝蔵、小島善太郎らの結成した1930年協会、児島善三郎らひきいる独立美術協会など、二科会で活躍する画家たちによる運動や分派がうまれる。
【3】発展そして解散
1934年に藤田嗣治を迎え入れた二科会は、さらなる発展を遂げ、藤田、東郷青児を顧問に据えた九室会なども結成される。1935年には石井、有島、山下ら一部の創立メンバーが二科会を去り、1944年ついに二科会は解散へ。
【4】再興期
戦後、いちはやく動いた東郷や、高岡徳太郎らが中心となって二科会は再結成される。海外進出、社団法人化など、再興するためのさまざまな工夫がなされて今日に至る。

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